2009年12月07日
攻撃は最大の防御だろうか?
[攻撃は最大の防御であろう]か??
どんな仕事でも、完璧に予定通りに行くことはまずありえない。それが単純作業であろうが、無かろうが。
特に、商売という名の自由業。個人商店という名の零細企業では、まず予定通りということはない。それは、他人に左右される要素が多く、力関係から言っても、他人の力が勝るからだろう。
予定を立てて、行動⇔検証という方法をとっていたとしても、個人レベルでは全体を見渡すことは不可能に近い。そこで、リスクを回避するために、複数の方法論を考えるわけだけれど、やはり、その場合でも性格がかなり左右すると思う。
性格⇔経験値ということもあるけれど。守るが先か?攻めるが先か?
難しい選択の局面が多すぎる毎日。弱気になることの恐ろしさを肌で感じている。
どんな仕事でも、完璧に予定通りに行くことはまずありえない。それが単純作業であろうが、無かろうが。
特に、商売という名の自由業。個人商店という名の零細企業では、まず予定通りということはない。それは、他人に左右される要素が多く、力関係から言っても、他人の力が勝るからだろう。
予定を立てて、行動⇔検証という方法をとっていたとしても、個人レベルでは全体を見渡すことは不可能に近い。そこで、リスクを回避するために、複数の方法論を考えるわけだけれど、やはり、その場合でも性格がかなり左右すると思う。
性格⇔経験値ということもあるけれど。守るが先か?攻めるが先か?
難しい選択の局面が多すぎる毎日。弱気になることの恐ろしさを肌で感じている。
2009年11月30日
配達途中に...
配達途中に見る木々。色素の違いという野暮な話は別にして、赤系の紅葉と黄色系の紅葉とどちらが好きか?などと考えている。自分はやっぱり黄色系...。
2009年11月29日
[最後の一葉]
配達途中で、ふと空を見上げると、紅葉した葉が数枚。冬の強い巣是に揺られていた。
オー・ヘンリーの[最後の一葉]。
来週から師走。今年も後一ヶ月。早い。
オー・ヘンリーの[最後の一葉]。
来週から師走。今年も後一ヶ月。早い。
2009年11月28日
moe
我が栄光の相棒。モルモットのモエが急死した。昨日訃報を聞いた。昨年末で、引退しての余生だった。
ペットショップの片隅で、他のモルモット仲間とは違って醒めた眼でこちらを見ていた。
そんなモエに自分を感じて、店にやってきたモエ。
その小さな体と大きなボタンの様な眼で、日々に追われ、虚い行く我々をどう眺めていたのだろうか?
達観したようなその生き方は、彼女が、彼女自身の人生を悟っていたかのようだった。
ある種の平和や食料と引き換えに、手に入れた制約のある人生。それとて、生まれてからすべて、結局、他人である人間によって決められたという性。モエ自身へのレクイエム(鎮魂歌)なのか。
『継続は力なり。』とは言うけれど。モエにしてみたら、あまりに単調な生活。その中で、キッチリした食生活と健康、規則正しい生活は、モエに教えられたこと。
限られた自由の中で、モエは生まれてきた幸せや、生きる喜びを感じていたのだろうか。そして、彼女が僕らにくれた安らぎや幸せと同じように、ぼくらは、モエを幸せにしてあげていたのだろうか?。
ある日突然、呆気なくいったモエ。モエが最後にかじってくれたレタスの思い出は一生忘れないだろう。
今日、モエとお別れに行ってきた。感謝を綴った短い手紙とモエのホームグランドだった店と店内にモエが居た場所の写真。「先に行って、営業しといてくれよ!!」と初めて作ったモエの名刺は、紛れも無く、僕らと同じスタッフだった証。それと僕自身の名前の由来、弥勒菩薩のある京都・太秦・広隆寺のお守り。片時も離さず身につけていた亡き父親の形見。そんなのセンチメンタリズムだと笑われるかも知れないけれど、少しでも天国に近づけるようにと。ただ、それだけを願って、店の花で飾った小さな棺に入れた。今日、最後に買った、大好きだったミニトマトと一緒に。
きっと、モエは風になった。ふと、そう思った。
春は桜と共に、暑い夏は木々の間を吹き抜けるそよ風になって、秋は紅葉に茜色に染まった夕映えの街を抜け、そして冬は木枯らし吹くイルミネーションに飾られた美しい街並みを見下ろしながら、今度は自由に、自分の意志で、旅をして行くのだろう。そしてまた何時かきっと自分たちの目の前に帰って来てくれると信じている。
配達先の路地を抜ける風に、店のドアを開けた時に店に吹き込むそよ風に、そして事務室の中でふと振り返った瞬間に通る微風になって、モエは季節の風と優しさを運んできてくれるだろう。
有難う、モエ。ふとした瞬間、風と共にモエの香りが過ぎり、モエが来たことを、この鈍感な僕にもちゃんと知らせてくれよ。また、一緒に仕事できるのを楽しみにしているから。 有難う、モエ。
ペットショップの片隅で、他のモルモット仲間とは違って醒めた眼でこちらを見ていた。
そんなモエに自分を感じて、店にやってきたモエ。
その小さな体と大きなボタンの様な眼で、日々に追われ、虚い行く我々をどう眺めていたのだろうか?
達観したようなその生き方は、彼女が、彼女自身の人生を悟っていたかのようだった。
ある種の平和や食料と引き換えに、手に入れた制約のある人生。それとて、生まれてからすべて、結局、他人である人間によって決められたという性。モエ自身へのレクイエム(鎮魂歌)なのか。
『継続は力なり。』とは言うけれど。モエにしてみたら、あまりに単調な生活。その中で、キッチリした食生活と健康、規則正しい生活は、モエに教えられたこと。
限られた自由の中で、モエは生まれてきた幸せや、生きる喜びを感じていたのだろうか。そして、彼女が僕らにくれた安らぎや幸せと同じように、ぼくらは、モエを幸せにしてあげていたのだろうか?。
ある日突然、呆気なくいったモエ。モエが最後にかじってくれたレタスの思い出は一生忘れないだろう。
今日、モエとお別れに行ってきた。感謝を綴った短い手紙とモエのホームグランドだった店と店内にモエが居た場所の写真。「先に行って、営業しといてくれよ!!」と初めて作ったモエの名刺は、紛れも無く、僕らと同じスタッフだった証。それと僕自身の名前の由来、弥勒菩薩のある京都・太秦・広隆寺のお守り。片時も離さず身につけていた亡き父親の形見。そんなのセンチメンタリズムだと笑われるかも知れないけれど、少しでも天国に近づけるようにと。ただ、それだけを願って、店の花で飾った小さな棺に入れた。今日、最後に買った、大好きだったミニトマトと一緒に。
きっと、モエは風になった。ふと、そう思った。
春は桜と共に、暑い夏は木々の間を吹き抜けるそよ風になって、秋は紅葉に茜色に染まった夕映えの街を抜け、そして冬は木枯らし吹くイルミネーションに飾られた美しい街並みを見下ろしながら、今度は自由に、自分の意志で、旅をして行くのだろう。そしてまた何時かきっと自分たちの目の前に帰って来てくれると信じている。
配達先の路地を抜ける風に、店のドアを開けた時に店に吹き込むそよ風に、そして事務室の中でふと振り返った瞬間に通る微風になって、モエは季節の風と優しさを運んできてくれるだろう。
有難う、モエ。ふとした瞬間、風と共にモエの香りが過ぎり、モエが来たことを、この鈍感な僕にもちゃんと知らせてくれよ。また、一緒に仕事できるのを楽しみにしているから。 有難う、モエ。
2009年11月25日
スローライフと手抜き
懐かしい町並みに出会うと、時が旧にさかのぼる。その頃、時代に帰っていく気がする。長い間生きていると、経験という貴重な財産のほかに、負の遺産ともいうべき、懐疑心だったり、勝手に定めた限界などを知る。
[無]・[無常]という言葉が当てはまるかはわからないが、心を[無]にして当たれば、解決の糸口の見えるものも多いのかもしれない。
知っていてしない、と、知らないの違い。上手なスローライフを目指したい。
2009年11月23日
人間の醜さについて
動物、特に毎日生活を共にしている動物は、周りの環境に実に敏感であることに気づく。人間関係で気まずい雰囲気が出来ると、どこからともなく、出てどこからともなく姿を隠す。
加えて言うならば、好き嫌いもハッキリしている。イヤな人には寄り付かない。そして、その人がいかに動物に対して綺麗に振舞っているように見えても、結局、動物は、その仮面の下を見抜く。決して近寄らないし、近寄らさせられたら、ずっと静かにしている。そして、自然の流れの振りをして、その場から消える。
人間は決して動物を欺けない。実感する。
2009年11月20日
薔薇で年月を感じること
生花小売業という職業について早20年以上になる。植物という括りは正しいかわからないが、鉢物や切花は、バイオ技術の変化もあって、20年前と雲泥の差だ。
品質もそうかもしれない。しかし、種類の多さは、消費者や小売店の要望に答える形で格段に進歩、変化していっている。例えば、カーネーション。昔?は[初霜]という品種をブライダルによく使われたが今はほとんど見受けない。また、ハイブリット系のでも、一時期盛んに[カサブランカ]と連呼されていた時期は過ぎている。
薔薇は、その使用頻度や価格、その他もろもろの条件でフラワーギフトには欠かせないものである。薔薇もやはり同じ。今は大輪系の輸入品も含めて、ソコソコの品質を保っている。
その品種、色合いを見るたびに、年月の変化を感じる。
2009年11月19日
事務仕事
今日は一日事務仕事。しかし、寒い。寒いと萎える。萎えると元気もなくなる。
しかしそこらは、天邪鬼な性格。元気が出ないから、頑張るのである。
元気なときは、みんな頑張るから。。。。。。
しかしそこらは、天邪鬼な性格。元気が出ないから、頑張るのである。
元気なときは、みんな頑張るから。。。。。。
2009年11月18日
冬空晴れて...
昨日、今日と冬のような?(もう冬だけど)、寒い日が続いている。配達に出ても、夏の盛りのように、車内の温度を気にすることは少ないが、逆に自分が暖房を入れないと風邪をひきかねない寒さだった。
しかし、空は綺麗だった。どこまでも青く、澄んでいる感じ。
別に何かあるわけでもないけれど、そんな時は妙に小さな幸せを感じてしまう。
2009年11月17日
[苔]
苔の美しさは言うまでもない。特に、朝露に濡れた色合い、雨に打たれた苔は特に美しい。建物を見るのが好きである。例えば、安藤忠雄氏、例えばバラガン氏といった著名な建築家の作品から、軍艦島やダム、廃墟。寺院建築も好き。宮大工に憧れる。
苔は至る所、意識すれば目に付き、意識しなければ見えてこない。そんな感じも好き。ふと立ち寄った配達途中の寺院の参道から少し離れた石組み近くの苔。
自然の美しさとは、きっとこういうものを指すのだろうと、しばし観察。
苔は至る所、意識すれば目に付き、意識しなければ見えてこない。そんな感じも好き。ふと立ち寄った配達途中の寺院の参道から少し離れた石組み近くの苔。
自然の美しさとは、きっとこういうものを指すのだろうと、しばし観察。
2009年11月16日
静寂と清浄
配達の途中で、何かに「フッ」と惹かれる時がある。それは看板だったり、人物だったり、建物だったり惹かれるポイントは日にちによつてかなり違う。
先日、ふと配達途中に小高い丘と神社を見つけて立ち寄った。普段はさして、宗教心の強い人間ではないはずだが、清浄と静寂の場所に足を踏み入れると何か、特別な思いに駆り立てられる。
偉大なもの厳かなものに自然に敬意を払う心。それは、人間のベース部分かもしれない。
2009年11月15日
ペットという名の相棒
店にペットと呼ばれる相棒がいる。人は会話で゛コミニュケーションをするけれど、動物はしゃべらない分、その動作や鳴き方、態度で表現する。それは、時として人間のそれよりも豊富な表現だと思う。
365日、朝5時から夜10時まで、最低限は店を基盤として、生活している。だから、この相棒といる時間も、他のスタッフやもちろんお客様よりも遥かに多い。
ほかに見せない態度やしぐさ、そして、感情の起伏や、相棒なりの心配り。ペットというより親友みたいなものかもしれない。冷静に見ていると学ぶことも多い。「負けてる??」と思う瞬間もある。「自分よりも大人だ。」と思う瞬間もある。
毎日毎日が奴にとって、平和で幸せであることを願う。
2009年11月14日
[フラッシュ・バック]
立ち止まる時間、フラッシュバックする時間。それは、突然やってくる。そして前触れもない。
何かを感じて、スイッチがonになり、フラッシュバックする。
それは、動作の場合も、風景の場合も、色々なケースがある。心にゆとりがあるときは、その瞬間を楽しめる気がする。
2009年11月13日
[やる気を削ぐ気]
[やる気]という言葉ありますよね。[やる気を削ぐ]という言葉もあります。モチベーション、テンションなんていう言葉もありますよね。
これらは全て難にでも通用すると思うんです。[やる気]を削ぐことはとても簡単で、[やる気]を持続することの方が遥かに難しい。
羽生名人だったり、イチローさん、石川遼君、古くは江夏豊投手ですか、結局自己管理という言葉にもつながるのでしょうが、一流といわれるプロは必ず持っている<技>ですよね。
でも、ものの大小はあっても、いろいろな人の人生の中には、みんな持っていると思うんですね。この[やる気]という持続性の精神力。相手が怠惰ということだったり、誘惑ということだったりして、この持続はなかなか維持できないように出来ている。だから、維持できる人はその道のプロになれる訳だと思うんです。
徹することの難しさを感じるこのごろです。
これらは全て難にでも通用すると思うんです。[やる気]を削ぐことはとても簡単で、[やる気]を持続することの方が遥かに難しい。
羽生名人だったり、イチローさん、石川遼君、古くは江夏豊投手ですか、結局自己管理という言葉にもつながるのでしょうが、一流といわれるプロは必ず持っている<技>ですよね。
でも、ものの大小はあっても、いろいろな人の人生の中には、みんな持っていると思うんですね。この[やる気]という持続性の精神力。相手が怠惰ということだったり、誘惑ということだったりして、この持続はなかなか維持できないように出来ている。だから、維持できる人はその道のプロになれる訳だと思うんです。
徹することの難しさを感じるこのごろです。
2009年11月13日
店内装飾
店内装飾を考える。店内といったって、どこまで行っても花屋は花屋。そんな見方も正しいとは思う。ただ、花屋にだって趣味はある。本業ではなく趣味の世界。
最近、どんな職種でも、コンセプトが似てきている傾向にある。だから、看板が変われば同じ雑貨屋、同じ花屋、同じケーキ屋。そう、流行という名のコンセプトである。
流行イコール売れると考える。ある意味正しい。
しかし、続けるためには、自分らしさは必修である。借り物は所詮借り物。自分らしさを大切にした店を作りたいと思う。
2009年11月12日
[定休日]について
<定休日>店や商業施設の休みの日。
よく考えてみると、今から15年も前にさかのぼれば、デパートにも商業施設にも商店街にも定休日があった。というより、毎週のように必ずあるものだった。
ところが今は違う。正月の元日からスーパーもデパートも開いている。だから、買出しとか、買い貯めではなく、福袋目当て??
どこの商店もダンダン定休日がなくなりつつある。定休日ってなんだろう。ふと考える。
よく考えてみると、今から15年も前にさかのぼれば、デパートにも商業施設にも商店街にも定休日があった。というより、毎週のように必ずあるものだった。
ところが今は違う。正月の元日からスーパーもデパートも開いている。だから、買出しとか、買い貯めではなく、福袋目当て??
どこの商店もダンダン定休日がなくなりつつある。定休日ってなんだろう。ふと考える。
2009年11月11日
別に変化のしようもなく。
別に変化することもなく、一日が過ぎていく。何かが良くて、何かが悪いというわけでもない。
毎日毎日、目の前にある難問・鬼門?を片付けるだけの毎日。気がつけば朝。また、目の前の仕事だけの毎日。
少しは人生変えないとと思う瞬間。やっぱり夜になり、朝になる。
平和....大切。実感。
2009年11月10日
junkな生き方
junkな生き方に憧れる。というより、junkな生き方しかできないのかも知れない。
気がつけば年寄り。先もない。どう生きるか?迷いばかりの毎日。
気がつけば年寄り。先もない。どう生きるか?迷いばかりの毎日。